巌流島の真

大河ドラマ「宮本武蔵」もそろそろ巌流島の決闘ということで佐々木小次郎を。

巌流島の決闘で宮本武蔵が佐々木小次郎に勝利するのは有名ですが、この佐々木小次郎は美男で剣に優れるということで佐々木小次郎ファンも大勢いるようです。
しかしこの佐々木小次郎、巌流島の決闘で70歳を超えていたというのです。
その根拠となるのは佐々木小次郎が富田勢源の弟子であると「二天記」に記されています。
佐々木小次郎が巌流島の決闘時18歳だとすると1594年頃生まれたこととなります。

一見それで良さそうですが富田勢源の弟子であるとするなら小次郎が生まれる前にすでに富田勢源は没しています。
この点は大河ドラマでは富田勢源の弟子の鐘巻自斎の弟子ということで落ち着いています。
しかし早熟とはいえ18歳で細川家の剣術指南役は年功序列の時代ではかなり無理があるように思われます。

そして富田勢源、鐘巻自斎らは中条流小太刀の使い手であり決して長刀の使い手ではありません。
ですがこれも小太刀の練習相手に長刀を使っていたためそれで修行したとしているようです。

武蔵は佐々木小次郎を何といっているのかといえば、五輪書には・・・

何も書いていません

なんと最大のライバルと言われる割には一切佐々木小次郎の記述がないのです。
おまけに佐々木小次郎が登場する「二天記」は武蔵の死後100年以上たってから書かれたものなのです。

佐々木小次郎について触れている武蔵の養子の宮本伊織は佐々木小次郎との仕合で武蔵は小次郎と同刻に相対すという記録を残しています。
養子の伊織が武蔵は遅れて来て小次郎を焦らしたという話を否定しているのです。
各々の証拠が全く違う見解を示し謎が謎を呼ぶ状態に陥ってます。

佐々木小次郎の死も実は謎だらけです。
私の記憶の佐々木小次郎の最後は武蔵に頭を割られ死亡したとなっていました。
ところが敗れた後息を吹き返し、
1、細川家の藩士に殺害された。
2、武蔵の弟子になぶり殺しにされた。
という説もあるのです。
藩士に殺害されたというのは佐々木小次郎が剣術指南役になり増長したためともいわれています。

武蔵の最大のライバルは果たして本当に小次郎であったのでしょうか・・・・

いずれにしろ70歳の老剣士佐々木小次郎と29歳の武蔵の巌流島の決闘は見たくありませんw

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